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<司牡丹の由来>




 南国土佐、高知市を離れて西へ26km、山紫水明の佐川町は銘酒「司牡丹」醸造の地として名があります。今から約400年の昔、関ヶ原の合戦直後の慶長8年(1603年)のことです。関ヶ原の勲功により、徳川家康から土佐24万石を賜った山内一豊に伴い、土佐に入国した山内家の首席家老、深尾和泉守重良は佐川1万石を預かることになります。その時、深尾氏に従ってきた商家の中には、酒造りを業とする「御酒屋」の名が見られました。深尾家出入りの御用商人で「名字・帯刀」を許された格式ある酒屋です。この酒屋が、司牡丹酒造の前身であります。以来、佐川の地に伝統正しい酒造りが受け継がれ、大正7年(1918年)、佐川の酒造家が結集して近代企業として株式会社を設立。そして佐川出身の維新の志士、明治新政府の宮内大臣も務めた田中光顕伯爵(坂本龍馬、中岡慎太郎亡き後の陸援隊長)は、この佐川の酒を愛飲し、「天下の芳醇なり、今後は酒の王たるべし」と激励の一筆を寄せ「司牡丹」命名。「牡丹は百花の王、さらに牡丹の中の司たるべし」という意味であります。
 

<社宝「芳醇無比乃巻>
 昭和5年(1930年)、高知県出身で時の総理大臣、浜口雄幸首相から司牡丹に「芳醇無比」の賛辞の一筆が届けられました。これを聞いた司牡丹の名付け親、田中光顕伯爵は「私も何か言葉を添えよう」と一筆をしたため、「空谷と名にはよべども水音も跫音も高く世にとどきけり」「酒の名の牡丹は獅子によりてこそ高くかほらめ千代の世までも」の二首を寄せられます。これは浜口首相の一筆と合わせて表装の上「芳醇無比乃巻」と箱書きまでされた丁重な贈答でありました。「空谷」は浜口首相の雅号から、「獅子」はライオン宰相の異名から、そして百花の王「牡丹」は百獣の王「獅子」とは切っても切れぬ関係。つまり、「ライオン宰相浜口雄幸の名声と共に、司牡丹はいつまでも酒の王者であろう」という意味なのです。その後、田中伯より手紙が届き、「ずっと気になっていたが、やはり下の七字の<千代の世までも>は<のちの世までも>の方が良いと佐々木信綱博士にも言われたので書き直したい。面倒だが送り返してほしい。」とのこと。間もなく、改めて書き直されたものが再び表装されて届けられました。
「酒の名の牡丹は獅子によりてこそ 高くかほらめ のちの世までも」
これが、現在も社宝として司牡丹酒造に所蔵されている「芳醇無比乃巻」なのです。
浜口雄幸

田中光顕


蔵の風景(秋)

酒林

 


<司牡丹の「米」「水」「技」そして「心」>


@司牡丹の「米」
 酒造好適米の最高峰「山田錦」は、酒造りには最適ですが大変作りづらく、収穫量も少なく、価格も高価であるため、一般的には吟醸酒などの最高ランクの酒造りのみに使用されています。また、酒造りは「一麹、二もと、三造り」と言われ、「造り」の時に使用される「掛米」に比べて量は少ないが、「麹」と「酒母」に使用される「麹米」「酒母米」が最も重要であると言われています。司牡丹では、普通酒を含むほとんど全ての酒の「麹米」「酒母米」に、この「山田錦」を使用しています。「山田錦」の産地は主に兵庫県であり、司牡丹でも兵庫県産の「特上山田錦」を中心に仕入れていますが、平成8年より、永田農法での「山田錦」栽培に、高知県佐川町と窪川町にて取り組んでいます。ちなみに永田農法とは、農薬はもちろん、水や肥料も極力与えず、植物本来の生命力を引き出し、環境にもあまり負荷を与えないという自然な農法です。この「永田農法・高知県産山田錦」も含め、司牡丹の「山田錦」使用量は、使用原料米総量の実に15%以上に達しています。その他の使用米としては、「北錦」(兵庫)「アケボノ」(岡山)「雄町」(岡山)「オオセト」(香川)「吟の夢」(高知)「風鳴子」(高知)「土佐錦」(高知)「アキツホ」(高知)等です。

       永田農法の開拓者永田さん



A司牡丹の「水」
 司牡丹では、仁淀川水系の湧水(軟水)を仕込水として使っています。四国山脈の連峰を源として太平洋に流れる仁淀川は、「日本最後の清流」として有名な四万十川を凌駕する水の透明度を誇り、「日本一水のきれいな川」とも言われている清流です。また、仁淀川は古来より「神河」と称され、、「風土記」の中に「神々に捧げるための酒造りに、この清水を用いた」とも記されている、伝説の神の川なのです。さらにこの仁淀川水系の湧水は、名著として名高い坂口謹一郎著「日本の酒」(岩波新書)の中に「水と名酒」として登場する名水でもあります。司牡丹の故郷佐川町は、この仁淀川の中流域に位置しており、周囲を山に囲まれた盆地であるため、この名水が豊富に湧き出しており、古くから酒造りの町として栄えた要因となっているのです。


B司牡丹の「技」
 司牡丹の育ての親、竹村源十郎(現社長の曾祖父)は、徹底した品質至上主義を唱え、司牡丹品質向上のための全国有名醸造地行脚の旅を、昭和元年より開始します。そして、5年間の全国行脚の末、高知の軟水による酒造りには軟水醸造法の広島杜氏が適任であることを発見。昭和6年には広島杜氏の第一人者、川西金兵衛の招聘に成功します。その軟水仕込みの優れた技は、司牡丹の品質向上に格段の進歩を促し、昭和13年「全国清酒品評会」において四国で初めて、また唯一の「名誉賞」受賞をもたらすのです。(名誉賞受賞蔵は全国でわずか61蔵のみ。)以来、他の高知県内酒造会社も、こぞって広島杜氏を招くようになるのです。川西亡き後も広島杜氏の伝統は引き継がれ、司牡丹は輝かしい受賞歴を誇ります。「全国新酒鑑評会」最高位金賞受賞回数も全国トップクラスの通算25回(昭和40年〜平成18年まで。昭和40年以前は不明。)を数えます。特に平成11年・12年は2年連続「四国清酒鑑評会」にて第1位を獲得し、四国ナンバーワンの酒質評価を得、さらに平成12年については、「高知県杜氏組合鑑評会」第1位、「高知県酒造組合鑑評会」第1位、「四国清酒鑑評会」第1位、「全国新酒鑑評会」最高位金賞受賞と、前代未聞のグランドスラムを達成しているのです。
 平成16年8月、司牡丹最後の広島杜氏として30年間活躍した加島義樹杜氏が亡くなります。彼の酒造りは以下の言葉に集約されます。
 「酒造りは子育てと同じ。自分の都合ではなく、相手の生活に合わせて作業しなければならない。赤ん坊が泣きだせば、深夜だろうと早朝だろうと母親は乳を与え、おむつを替える。何のためらいもなく無償の愛を与え尽くす。特に吟醸酒ともなれば、香りと味わいのバランスは両刃の剣。共栄点を見つけることが難しい。しかし、手のかかる赤ん坊ほど可愛いもの。ただただ、与え尽くすのみです。」
 加島杜氏は既に平成4年より、後継者育成の使命を担って取締役杜氏に就任していました。加島杜氏の酒造りの精神と技を確かに受け継ぎ、平成16酒造年度より、社員としての杜氏、浅野徹(高知県出身)が就任します。約70年間の広島流軟水醸造法の伝統を引き継ぎ、新たに「司牡丹流」とでもいうべき段階に至ったといえるでしょう。


C司牡丹の「心」
<1>昭和16年、司牡丹の醸造石数は5000石を突破。さらに当時全国で1万軒あった酒蔵の中から「特等格27銘柄」に選抜され、「特等酒」の指定を受けます。これは、四国の酒蔵で唯一の快挙でありました。そんな矢先、太平洋戦争が勃発。翌17年には全国的に米不足となり、司牡丹の醸造石数も約十分の一の600石と激減します。「金魚酒」等の粗悪な酒が全国に蔓延する中、竹村源十郎は「石数は落としても酒質は落とすな!」と終始品質至上を貫き通したのです。昭和20年、終戦。そして戦後復興の足音が聞こえ始めた昭和25年頃、戦中戦後も貫き通した品質至上主義が不動の信用を得、四国四県はもとより、大阪、名古屋、東京からも引き合いが殺到。「天下の芳醇・司牡丹」の名を全国に轟かせることになるのです。

<2>竹村源十郎亡き後も、その精神は確かに司牡丹酒造に受け継がれていきます。「三倍増醸酒」といった大量生産酒に市場が席巻されていた昭和50年。司牡丹は「特級酒」を全て「純米酒」か「本醸造酒」という高品質酒に切り替え、さらに昭和54年には「特級酒」を全て「純米酒」とし、翌55年には「一級酒」を全て「本醸造酒」とし、この頃始まる「地酒ブーム」の中心銘柄の一つとなるのです。現在、全国酒造メーカーの「特定名称酒(吟醸酒・純米酒・本醸造酒などの高付加価値酒)」比率は平均30%程度ですが、司牡丹の「特定名称酒」比率は実に70%を超えているのです。そして、平成12年9月からは「糖類・酸味料」を使用した「三倍増醸酒」の製造を全廃。品質はアップし価格は据え置き、さらに全量高知県産米を使用した「土佐司牡丹」を新発売。これにより、司牡丹は全商品が「糖類・酸味料」等の添加物なしとなりました。また、平成8年より、「土佐・本物・エコロジー」にこだわっていくという方針を打ち出し、同年、永田農法での「山田錦」栽培に、高知県佐川町と窪川町にて取り組み、平成13年からは永田農法での「一本〆」栽培(平成16年より酒米を「風鳴子」に変更。)に、高知県土佐清水市にて取り組んでいます。ちなみに永田農法とは、農薬はもちろん、水や肥料も極力与えず、植物本来の生命力を引き出し、環境にもあまり負荷を与えないという自然な農法です。 さらに、平成12年12月には、四国の日本酒業界では初めてとなる「ISO14001」(国際標準化機構の環境マネジメントシステム企画)を取得しています。そして、平成17年12月8日まで認証を維持し、以降は独自の「司牡丹酒造・環境マネジメントシステム」を構築しています。

<3>司牡丹では新時代を見据え、これまでの「品質至上主義」のその上に、平成4年、新たに「社是」を制定しました。すなわち、「源・和・創・献」です。
 


『司牡丹酒造の社是 : 「源・和・創・献」』

「源」
目標に向かって邁進することは大切ですが、意識が外にのみ向いてしまいがちになる危険があります。私たちは、目標に向かって邁進しながらも、しっかりと地に足をつけ、「源」とつながりを持ち続けます。「源」とつながるとは、自分の根源とつながることであり、400年を超える司牡丹の歴史における竹村源十郎を筆頭とする先人たちの心とつながることであり、坂本龍馬を筆頭とする幾多の土佐の偉人たちの心とつながることであり、世界の叡智の源とつながることです。私たちは、彼らに対して恥じるような行い、卑しい行いは断じてしません。私たちは皆、竹村源十郎の心の子孫であり、坂本龍馬の心の子孫です。常にそのことを念頭におき、背筋を凛と伸ばして生きてゆきます。

「和」
私たちは以下の4つの「和」を大切にします。日本古来の伝統・文化・精神の結晶が日本酒であるという意識を持ち(ジャパニーズの「和」)、技術と自然のバランス、蔵元と社員・蔵人とのバランスを大切に(バランスの「和」)、香りと味わいの絶妙な調和を持ち、料理とも調和する日本酒を、調和をもって醸造し、調和をもって製品化し、調和をもって販売する(ハーモニーの「和」)。そしてその酒が多くの人間関係において潤滑油となり、世の人々が素晴らしい大調和の中に生活できることを念願とする(コミュニケーションの「和」)。

「創」
ビジネスとは需要を創造することです。世の中で私たちにしか思いつくことができない価値の伝え方を発見し、お客様に語りかけなければ、生まれなかった需要というものがあるのです。私たちは日々需要の創造に精進します。そしてその創造の力を、他のあらゆる業務においても発揮します。

「献」
私たちは、様々な企業活動を通じて、地域や社会に対して貢献します。また企業活動以外に一人の土佐人、一人の日本人としても、悦びに満ちたあたたかい社会を築くため、具体的な地域貢献・社会貢献活動に積極的に取り組みます。

蔵の風景(冬)



 そして平成13年、自社のアイデンティティの確立と世の中に対する立場の明確化のために、「司牡丹酒造のミッション(使命)」を制定しました。

 

<司牡丹酒造のミッション(使命)>
「土佐」「本物」「エコロジー」にこだわった美味しい日本酒を製造販売し、
人々にワクワクするような日本酒の愉しさを伝道する。
その結果、個人には元気と健康と幸せを、
社会には潤滑で円満な人間関係をもたらし、世の中に進歩と調和をもたらす。

 さらに、平成16年には21条からなる「司牡丹酒造の憲法(クレド)」を制定し、社員全員の価値観の統一を図っています。これら「社是」「ミッション(使命)」「憲法(クレド)」は、「司牡丹ミッションカード」としてまとめられ、社員全員が携帯し、グループに分かれて「憲法(クレド)」を毎日1条づつ読み合わせ、自分の意見を述べるという活動を継続しています。大きな夢の実現、使命の達成に、一歩づつでも近づいていくために・・・

 「司牡丹酒造の憲法(クレド)」はこちらをクリック! 

 


<司牡丹と偉人・著名人>


●坂本龍馬と司牡丹
 司牡丹酒造、竹村家の屋号は「黒金屋」と言い、慶長8年(1603年)より佐川の地にて酒造りを営んでいました。一方、坂本龍馬の本家「才谷屋」も、質商・諸品売買などと併せて酒造りを営んでいました。「才谷屋文書」によると、才谷屋と佐川の酒屋との間には頻繁な交流があったことが記されており、竹村家には天保2年(1831年)、黒金屋弥三右衛門が才谷屋助十郎から酒林壱軒(酒造りの株一軒分)を買ったという書状が残っています。また、黒金屋弥三右衛門の母親は才谷屋から嫁いでおり、一方、才谷屋八郎兵衛の母親は家系図によると「竹村氏の女」(黒金屋竹村家との血縁は不明)となっています。  つまり 「才谷屋」 と 「黒金屋」 は姻戚関係があった可能性があるということなのです。 さらに極めつけは、竹村本家には坂本龍馬の手紙(慶応2年3月8日、甥の高松太郎あて) も所蔵されており、代々受け継がれているのです。
竹村本家所蔵の龍馬の手紙

そして、佐川の地は維新の志士を数多く輩出いていること、龍馬の脱藩の道に当たっていること等を重ね合わせれば、「才谷屋」と「黒金屋」、坂本龍馬と司牡丹の関係は、因縁浅からぬものがあるといえるでしょう。司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の中にも登場し、司牡丹は龍馬が飲んだ酒として知られていますが、実際は龍馬の時代には司牡丹の酒名はまだ付けられていませんでした。もちろん酒名はまだでも黒金屋の酒自体は存在していた訳であり、前記の通りの因縁の深さから考えれば、当然龍馬もこの酒を飲んでいたことでしょう。

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●牧野富太郎と司牡丹
 「植物の父」「世界のマキノ」と称された日本植物学会の巨人・牧野富太郎博士の生家は、屋号を「岸屋」と称し、代々佐川の地で酒造りを営んでいました。明治の中頃、牧野博士はこの酒蔵を人手に譲り上京し、植物研究に生涯を捧げます。その後、この酒蔵は司牡丹酒造に譲られますが、昭和中頃の台風で大半が倒壊し、一棟を残すのみとなっていました。この一棟は、牧野博士の勉強部屋であった建物らしく、長らく「牧野蔵」として町民に親しまれてきましたが、平成16年の連続台風にて残念ながらこれも倒壊してしまいました。


●吉田茂と司牡丹
 戦後日本復興の立役者、「ワンマン宰相」吉田茂首相もまた、土佐が生んだ偉人でありますが、彼の著書「世界と日本」の中には「味のお国自慢」として以下の文章があります。
『先年、はじめて選挙に出ることになって高知へ渡った際、「土佐の酒はまずいから、よい酒を東京から持っていこう」と語ったことがある。これを伝え聞いた選挙区の有志たちから「土佐には自慢の酒がある」と叱られた。なるほど、土佐に着いて飲まされた酒は上等だった。「司牡丹」という名の酒で、以来その酒を愛用している。』
昭和35年、遊説のために来高した吉田元首相は、司牡丹酒造を訪ね、当時取締役会長であった竹村源十郎と快談しました。この時、現会長の竹村維早夫が撮った記念写真と吉田元首相揮毫の色紙は、今も社宝として司牡丹酒造に所蔵されています。


●宮尾登美子と司牡丹
 高知出身の女流作家・宮尾登美子さんの作品に、「楊梅(やまもも)の熟れる頃」という小説風・ルポ風エッセイ集があります。その中に「おきみさんと司牡丹」と題する短編がありますが、この話は、毎年10月になると広島から司牡丹にやってくる蔵人の「恒さん」と、同じく司牡丹に働く土佐の女「おきみさん」とのほのかな恋心を描いた作品です。また、映画化、テレビドラマ化もされた話題作「蔵」のあとがきには、司牡丹の酒蔵の雰囲気に憧れ、日本独自の酒造り文化に魅せられて、何十年も前から「蔵」を書こうと企てていたとの記述もあります。


●松任谷由実と司牡丹
 「月刊カドカワ」平成5年1月号の「松任谷由実特集」に、「ユーミンにきく100の質問」というコーナーがあり、その中で「好きなお酒は何ですか。」という質問に対し、松任谷由実さんは、「司牡丹というお酒が好きです。」と答えています。彼女がコンサートなどで高知に泊まる際にはよく訪れる店がありますが、そこでも実際に司牡丹を愛飲されているとのことです。

 


<司牡丹酒造の憲法(クレド)>

この憲法は、司牡丹酒造株式会社の全社員が共有する信条です。私たちは、憲法に表現された価値観を自分のものとして受け入れます。そして憲法に基づき判断・行動します。

1.<笑顔の力・挨拶の力>
小さな子供から笑顔でニッコリ微笑まれると、疲れなど吹き飛んでしまうでしょう。笑顔にはそれほどのパワーがあるのです。そんな純粋な笑顔ができる人は、それだけで人を奮い立たせる偉大な力を持っているということです。そして、気持ちのいい素敵な挨拶をされると、とても気持ちがよくなるでしょう。私たちは気分のすぐれない時にこそ子供のような純粋な笑顔で、気持ちのいい素敵な挨拶をします。相手の気持ちも自分の気持ちもよくなり、会社全体の雰囲気もよくなります。

2.<気持ちのキャッチボール>
会話は気持ちのキャッチボールです。想いを投げて、投げ返してもらう。その繰り返しです。ボールが相手に届かなかったり、暴投したり、強く投げすぎたり、もらったボールを投げ返さなかったりしたのでは、意思の疎通をはかることは出来ません。私たちは、いかなる場合でも言葉を選んで、投げっぱなし、受けっぱなしにならないように務めます。

3.<報・連・相>
私たちは、仕事を進めていく上で、常に「報告・連絡・相談」を重視します。どんな小さな事でも、全体で情報を共有化した方がよい思われる事は、「報・連・相」します。部下から上司へのみでなく、上司から部下へ、同僚同士、自部署から他部署へ、様々な「報・連・相」を実践します。「報・連・相」とは、いわば会社の神経伝達回路であり、会社全体で価値観を共有するための前提でもあるのです。

4.<和して同ぜず>
全ての基本は「人」にあり、人間関係の醸成から始まります。私たちは、常に心を開いた飾らない裸の付き合いを心掛け、素晴らしい人間関係を醸成します。これを「和」といいます。ただし馴れ合いの同調意識は歓迎しません。これを「和して同ぜず」といいます。私たちは「和して同ぜず」の人間関係を醸成していきます。それが真のチームワークとなり、気持ちよく働ける環境づくりにつながり、あたたかくて一体感があって、一本筋の通った雰囲気の良い会社をつくるのです。

5.<責任の範囲>
失敗する人は、失敗を他人や環境のせいにします。一方成功する人は、失敗を自分のせいであると考え、「もっとこうすればよかったのでは」と反省します。こうした態度の違いが長い間に大きな差となり、失敗者と成功者を分けるのです。成功する人とは、自分の責任の範囲が広い人です。私たちは皆、責任の範囲が広い人間です。失敗を自分のせいであると考え、反省します。

6.<習慣の力>
習慣の力は最強です。私たちは、良い習慣を増やし、悪い習慣を減らします。良い習慣を増やすコツは、一大決心をしようと思わないことです。これくらいなら簡単だと思えるような小さなことを、毎日継続し続けるのです。その継続が当たり前のように感じられるようになれば、それは習慣になります。そしてまた次の小さなことにチャレンジします。これが永年積み重なれば偉大な力になるのです。

7.<精神レベル>
相手に腹が立つのは自分が相手と同じ精神レベルにいるということで、自分の精神レベルが高ければ腹は立ちません。小さな子供の言うことに本気で腹を立てる大人がいないのと同じことです。自分の精神レベルが上がれば少々のことで腹は立たなくなり、相手の良い部分とだけつきあえるようになります。私たちは常に精神レベルを上げていくように日々考えながら活動します。

8.<プラスのパワー>
精神レベルを上げていくためには、日々徳をつんでいかなければなりません。徳を積むとは、プラスのパワーを貯めるということです。つまり日常の些細なことでも、周りや世の中にとって良いと思われることをほんの少しでも実践するということです。実は簡単なことなのです。そしてその簡単なことを、平凡なことを、毎日毎日実践し継続することが、非凡への道であり、大きなプラスのパワーとなるのです。私たちは毎日毎日プラスのパワーを貯めていきます。

9.<マイナスのパワー>
世の中のほとんどの人が、自分に関係のないことや本当はどうでもいいような小さなことに腹を立て、イライラしています。そのイライラが自分にマイナスのパワーを引き寄せてしまうのです。せっかく貯めたプラスのパワーをそんなことで減らしてはもったいないでしょう。私たちは小さなイライラに気づいたら、素直な気持ちになり、爽やかな風のように、澄んだ清流のように、サラサラと流してしまいます。自分の中にマイナスのパワーを貯めないよう、常に心掛けます。

10.<言葉の力>
私たちは、言葉には偉大な力があることを理解し、自分の話す言葉に注意します。日常的に話す言葉が自分の運命をつくるということを知っているからです。恨みや妬みや怒りの言葉を口に出すということは、世の中に毒を撒き散らすのと同じことです。これを「口害」といいます。私たちは常に、明るい幸せの言葉を口から出します。それが自分の、周りの、世の中の幸せにつながります。これを「口福」といいます。

11.<感謝の法則>
私たちは全ての最初の一歩を、今に感謝することから始めます。感謝の法則は「タマゴとニワトリ」です。まずは何事もない毎日に感謝します。今日も自分が生きていること、太陽が昇っていることなど、当たり前のことに感謝します。すると感謝するようなことがやってきます。それにまた感謝する。これの繰り返しです。どちらが先かなど考えず、まずは最初の一歩を踏み出します。本当は感謝するのに条件など全く必要ないのです。

12.<感謝の言葉>
「ありがとう」という感謝の言葉をかけただけで、水の結晶がまるで雪のようなキレイな結晶になることが分かっています。日本酒は80%が水です。人間も70%は水です。私たちは常に意識して感謝の心を持ち、「ありがとう」と口に出し、日々の仕事に従事します。日本酒も人間も、素晴らしい結晶をつくるでしょう。

13.<働く幸せ>
人間の究極の幸せは、次の4つであると言われています。(1)愛されること(2)誉められること(3)役に立つこと(4)必要とされること。そしてその全ては、働くことによって手に入れることができます。働くということは、究極の幸せを手に入れる手段でもあるのです。私たちは、自らも、他者も、この究極の幸せを手に入れられるような働き方をします。

14.<日常業務>
日常の慣れた業務の中にこそ、改善すべき点が潜んでいます。私たちはそれに気づき、常に改善を加えながら、日常業務を行います。そしてたとえ単純作業であっても、決して雑務とは考えず、決して手を抜かず魂を込めて行います。どんな単純な作業でも魂を込めて行えば、それは必ず商品の、そして会社の品質アップにつながるのです。

15.<失敗する勇気>
私たちはできない理由を探しません。できる可能性が少しでもあれば、失敗を恐れず行動します。行動力とは失敗に直面できる勇気のことだからです。失敗したら「またひとつうまくいかない方法を発見した。つまり、また一歩成功に近づいたということだ」と考えます。

16.<人に良い「食」>
人に良いと書いて「食」になります。私たちは人を良くするための食品をあつかう会社の社員です。また、「人は食べたものに似る」といいます。人間の60兆もの細胞の90%は約90日で生まれ変わっているといい、それはその間に食べたものからつくられているのです。私たちは、そんな生命をあずかる職業に従事しているという意識を常に念頭におき、モノの本質を観る眼を養い、中途半端でない徹底したこだわり意識をもって業務にあたります。そして消費者に全てを話せる製品づくりを実践します。

17.<ダントツの品質>
私たちは、圧倒的に他を引き離すダントツの品質に挑戦し続けます。ただし、それは高価なものばかり目指す高級志向ではありません。地元の支持、地盤あってこその地酒です。私たちは、地元の普通のお客様から支持される普通の商品においても、その価格帯におけるダントツの品質に挑戦し続けます。そして品質とは、製品それ自体の品質はもちろんのこと、それに付随する全ての質のことです。私たちは、熨斗や包装紙の小さな汚れひとつ、会社の周囲の小さなゴミひとつでも、品質を落とすと考えます。

18.<品質と価値>
品質がいくらよくても、そのままではお客様にとっては価値の潜在型にすぎません。私たちはその品質を、「お客様にとっての価値」として伝える分かりやすい言葉や方法を常に考え、実践します。「お客様にとっての価値」とは、例を挙げるなら「四季の愉しさ」であり、「健康」「豊かさ」「癒し」「ねぎらい」等であり、究極的には「幸福」です。私たちはお客様の「幸福」のために、全ての事業活動を行います。

19.<お客様の本心>
私たちはあらゆる場面で、常に意識してお客様の声を集めます。「悩んだらお客様に訊け!」と言われるように、お客様の声は大変重要です。しかし、だからといってそのまま鵜呑みにはしません。お客様の声には翻訳が必要な場合が多いからです。例えば「飲みやすいものがいい」という声は、実は私たちが考える「飲みやすいもの」とは違う場合が大半なのです。私たちはお客様の言葉にできない本心を理解しようと努め、それを翻訳します。さらに、常にあらゆる業務の中から、お客様が不安に感じることやリスクを感じることなどを徹底的に探し出し、それを取り除きます。

20.<応対>
私たちは、電話であれ直接応対であれ、その相手が仕入業者であっても、同業者であっても、最高のVIP客に対する場合と同様の心掛けをもって応対します。相手の立場によって態度を変える人間は、最終的には信用されないのです。ただし、明らかに悪意を持った、変な因縁をつけてくる相手に対しては別です。私たちは成熟した大人同士の付き合いを重視します。そのような性質の悪い相手とは取引しません。そのような相手の戯言はサラリと受け流し、感情的になることなく、爽やかにお断りします。上司はそのような無礼な相手から、「司牡丹の憲法」に基づき行動する社員を守ります。

21.<環境意識>
私たちは事業活動において、地球環境の継続的改善と汚染予防による保全が最も重要な課題の一つであることを認識し、省エネルギー・省資源に取り組み、地球環境を守ります。そして「環境方針」「環境目的」「環境目標」を定め、「環境マネジメントシステム」を確立します。特に水は、人間にとっても日本酒にとっても命の源です。私たち、この美しい大自然に恵まれた高知の清浄な水を、つまりは山を、川を、海を、自分たちのためにも子孫たちのためにも、守り続けます。

<補足>
 この憲法は「不磨の大典」として崇める不動の存在ではありません。時代環境の変化や会社・社員の成長に合わせて、変化していくべき存在です。私たちは常にこの憲法を意識し、訂正・追加・削除を施し、新しい生命を吹き込み続けます。

      国の重要文化財に指定された「竹村家住宅」

     

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