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南国土佐、高知市を離れて西へ26km、山紫水明の佐川町は銘酒「司牡丹」醸造の地として名があります。今から約400年の昔、関ヶ原の合戦直後の慶長8年(1603年)のことです。関ヶ原の勲功により、徳川家康から土佐24万石を賜った山内一豊に伴い、土佐に入国した山内家の首席家老、深尾和泉守重良は佐川1万石を預かることになります。その時、深尾氏に従ってきた商家の中には、酒造りを業とする「御酒屋」の名が見られました。深尾家出入りの御用商人で「名字・帯刀」を許された格式ある酒屋です。この酒屋が、司牡丹酒造の前身であります。以来、佐川の地に伝統正しい酒造りが受け継がれ、大正7年(1918年)、佐川の酒造家が結集して近代企業として株式会社を設立。そして佐川出身の維新の志士、明治新政府の宮内大臣も務めた田中光顕伯爵(坂本龍馬、中岡慎太郎亡き後の陸援隊長)は、この佐川の酒を愛飲し、「天下の芳醇なり、今後は酒の王たるべし」と激励の一筆を寄せ「司牡丹」命名。「牡丹は百花の王、さらに牡丹の中の司たるべし」という意味であります。 |